360度サーベイについて

神でもない我々が出来る最高の評価方法

人を評価するということほど難しく、矛盾に満ちたものはない。なぜか?それは全人類の一人ひとりが異なる価値観を持っているからである。

だからこそ、これを逆転させて一人として同じ価値観の人がいないからこそ、それを価値として、その異なる全員で、上下関係なく、男女関係なく、ベテラン新人関係なく、あらゆる相互補完的に責任を持って、オープンに評価し合うことで自分の価値観では把握できない自己を浮き彫りにする事が出来る。それが360°サーベイです。

そこで、あり得ない話だがもし仮に価値観が同じだったとした場合、つまり自分の間違った、独善的な価値観で判断して良いとした場合、これまでの能力型人事制度で問題とされてきた事をあげると次のような事があった。

  • 同じ能力で、同じ学歴で同じ職歴、同じ年齢の人がいた場合、Aさんは自分の都合で遠距離からの通勤で、毎月5~6万円、年間70万円程度かかる。Bさんは歩いて通って0円。しかも通勤にかかる時間やエネルギーの負担は無い。この場合の給与は本当に同じで良いのか?
  • 同様に同じ能力、学歴、職歴、年齢でAさんは要介護の家族がおり、親の借金を返済して、結婚していて子供が二人。家賃も支払っている。Bさんは親元から通い、家賃はおろか食事代もかからない。しかも独身で毎月わずかだが別収入、若しくは親からの支援がある。この場合の給与は個人の事情だから仕方ないで本当に良いのか?
  • 個人としての能力は確実にあるが、全体の動きや目的を無視して自分勝手な行動を取って、しかもそれが正しいと思いこんでいる。皆は困った人だと思っているのに全く気付かず、むしろ自分は正しいのになぜか受け容れられないと考えている。そして、それは認めない周りが悪いと思い込んで感謝すべき組織に不満を持っている人と、能力は無い、しかし全体の動きや方向性を一生懸命聞いて、自分も何とか役に立ちたいと考え、能力が無いが故にけなげに、なじられても、馬鹿にされても全体の方向性に向けて船を押そうとしている人がいるとしたらこの評価は、本当に能力評価だけで良いのか?
  • 社会的に立派で多くの人から心から尊敬されている方のほとんどは、その会社の電話応対で判断するという。声のトーン、笑顔、気の使い方、配慮で全てを決定してしまうと言われています。会社を思い電話をかけてくれる相手の方の不安や思いを汲んで、我が社にとって重大な役割を担う人の縁をつくってくれる人の評価は?一体幾ら?
  • 誰もやらなかった、やれなかった、やらねばならない難しい仕事にリスクを買って出る人は、当然、当たり前のことですが失敗をします。失敗するからこそ一見無駄だと思える時間や費用を使い批判される立場に立ちます。一方、自分が得意な、自分が出来る、失敗しない、批判されない、これまで通りのことしかやらない人が、常に全体(未来の責任、高度な顧客からの要求、社会の変化、周りの人の生活を守る責任)の為に、あるいは恩ある誰かの為に行動した結果を見て、失敗したら「ほーらね!」上手くいったら「誰々が支援したから」とか「○○があったから出来た」と引き下ろす言葉を吐いて、行動に出なかった、恥ずかしい自己を振り返るのではなく、やらなかった自己を正当化する。この評価は?
  • 同じ会社に同じ立場で、同じように入社したが、一方はこの会社と出逢えて何もできなかった自分が、大切な仕事と大事なお客様と道具まで与えてくれて、色々な事を上司や会社が守ってくれて、教えて頂いたおかげで何とか仕事が出来るようになり、この会社のお陰で結婚し、家も持ち、子供も学校に行かせることが出来た。すべてこの会社のお陰で、他の同じような会社だったら絶対にこうはなっていない。それを考えたらまだまだ全くお役に立てていないと考える人と、逆に自分はまるで一人で仕事が出来るようになったと言わんばかりに、自分が努力したことを口にし、私をもっと評価しろ、私が頑張った割にもらうものが少ない、会社や部下や上司のこんなところが問題だ、ここが足りない。と自分の事は棚に上げて感謝とは真逆の、自分の価値観を疑わず、不平と不満をいう傲慢な人間の評価は?
  • 更に具体的な矛盾の例としては
    同じ会計事務所で、同じレベルの仕事の場合、都会と田舎の違いによる給与の格差は考えなくて良いのか?
    同じ会計事務所で、同じレベルの仕事の場合、職場の環境が優れているのと劣悪な環境で給与は同じで良いのか?
    同じ会計事務所で、同じレベルの仕事の場合、社保や退職金制度、慰安旅行、教育等が全くないのと重要視している会社の給与は同じで良いのか?
  • 評価者の直前の認識が評価に反映してしまうハロー効果はどうして解決するのか?
  • 「今やっている事でできる評価」と「将来出てくる価値を先取りしている仕事の評価」はどうしてするのか?

これらの矛盾を超えて

我社は評価制度をオープンにし、膨大な時間と作業のリスクをあえて背負う人はどんな立場の人間でも、人事委員会には参画できます。しかも上司が部下を一方的に評価するといった、これまでの評価方法ではなく!部下が上司を評価し、同僚が評価し、直接の上司が評価し、他部門の人が評価する。あらゆる価値観の人が存在するが故に、異なる価値観を活かす為にも、統計学的に見ても、今、最も確かな事実が浮かびあがる方法とされています。且つ全員が納得できる方法は360°サーベイ以外にないと経営学の中でいわれています。(もちろん他に良い方法があれば即取り入れます)
理由は、評価される自分と評価する自分が統合されているからです。また身近だから分かることと、身近だからこそ分からない事も、他部門からたまに会うからこそ感じる評価が、むしろ真実を浮き彫りにすることも分かってきました。
この方法で不満を持つとするなら、それは自分の現実を受け容れたくない、自己を振り返りたくない、自我の強い、私が私がといった自我の自分以外にあり得ません。
自己の環境を変えるのは、周りの人ではありません。自分が自分の間違いに気づくことで、周りの環境はただちに変わります。
その為に、全員評価360°サーベイを、自己と向き合う為の現実肯定の鏡として下さい。
何故なら事実だからです。
もし、納得いかない事があると感じた時は、それを変えるのは評価方法でもなく、評価する全社員でもなく、あなた自身が変わることです。それがあなたにとって理想の環境になる最善かつ、最短の道だからです。